何度も更新しようと思っていたのに、どうしても言葉が見つからなくて、ご無沙汰してしまいました。書きたいことも山ほどあったし、せめて、私たちは無事・元気ですということだけでも見に来てくださった方たちへお知らせしなければと思ってはいたのですが、想いは流転して、書こうという段になると、どうしても重たい何かに押しつぶされそうになり・・・。
地震に次いで原子力発電所が爆発したことで
生まれて初めて、「もしかして、私、死ぬのかな」
と本気で思ってしまった3月半ばでした
今はそれも執行猶予付になり、死ぬにしてもすぐにではないらしいことが分かってきましたが、それでもその体験を経てしまったことで、自分の過去や未来を再考せずにはいられなくなり、そして、続いて起きた放射性物質の拡散で決定的にもとの生活には戻れなくなってしまいました。
ごく近しい人同士でさえ、それぞれの立ち位置で考えることや感じることに少しずつ差があって
例えば「どうしてる?大丈夫だった?」なんてメールが来ても、それにさえ上手く答えられない、メールではどうにも今の状況を伝えられなくて、「うん、大丈夫・・・。(大丈夫じゃないなりに大丈夫)」と言うしか仕方ない。たとえ面と向かって話したって、もっと言ってみたいけれど、どこまで言っていいのか分からない。相手との温度差がつかみきれず、焦点を合わせていくことも不可能のように感じつつ、モヤモヤ感がぬぐえない日々を送っていました。
そんな中で、不特定多数の認識もまちまちな人々が見るであろうブログにメッセージを残すことがとても怖かったのだと思います。
かといって完全スルーで再び他愛もない日常を描くこともできそうもなくて、うじうじしている間に月日がどんどん過ぎてしまったという有様なので御座居ました・・・。
長~い言い訳が続いておりますが、大きく分けて以下の三つを考えておりました。
① 死ぬこと。
死ぬまでの残りの時間をもっとよくよく考えてみたい。
自分って一体なんなんだろう・・・。なんで生まれてきたんだろう。死ぬときに何を思うだろう。自分はなんの役に立てるのだろう。(そしてその答えは全部自分が知っているはず)
② 被曝のこと
この先何十年も続くであろう日々の少しずつの被曝。なんとか我が子の被曝量を減らしたいともがき、それに伴うストレスで停滞感を抱え込みながらも、それを理由に楽しい日々を謳歌することを放棄するのは本末転倒だと分かっている。それに、この程度の気遣いが本当に有効なのかも分からない。なのに心配することは止められない・・・。
だけど、少なくとも「こんなことになっちゃって・・・」としょんぼりして不機嫌になるのはやめよう。
敢えて何も気にせず生活して強い免疫を養って行くもよし、当面、ここまでなら出来るという尺度を持って、「不自由」に慣れてストレスを感じなくなるのもよし。
③ 市民として 沈黙の罪
いろんな立場や考えがある世の中だから、もし「私はこれには反対!」とか一方的に宣言すると、当然批判や非難を受ける訳で。だからそういう類の論争が起きそうなトピックは避けて扱わないように、「主張することで同時になにかを否定すること」も含めて、それはこっそり思ってればよい。公表したくもないし、する必要もないとずっと思っていたけれど、だけど言わないのは卑怯だと罪悪感を抱いたり、そんな当たり障りのないブログなら更新してる意味もないような気がどうしてもしてしまって、それで勇気を出して言います。
自分だって怖くてもう懲り懲りです。誰かの命や安全が危険にさらされてるのが分かってるなら、遠くであれ近くであれ、即刻原子力発電を停止したいです。未来の人々に尻拭いをしてもらうつもりで、危なすぎるのが分かっているのに決断を先延ばしにすることを正当化するのはやめよう。
・・・ふう。言えました。
なにを今更?ですが、私にとっては第一歩、ここから前に進んで行きたいと思います。
どうしても更新したくなって、ムチャクチャ自己中で恥ずかしい内容ながらもアップしてしまいます。意味不明な仕上がりとなっていることと思いますが、ごめんなさい。自分の中の澱みを一回全部吐き出してしまいたくてこんなことになりました。
今後ともよろしくお願いいたします。